
2018/12/6 カテゴリ: 社会科見学

利根川の支流 渡良瀬川。森高千里の「渡良瀬橋」と同名の橋がかかる足利市を訪ねました。


渡良瀬川を眺めながら、森高千里さんが作詞した時の感情などを想像し、ロマンチックな気分に浸ってみました。
実は、渡良瀬川の上流には足尾銅山があり、かつては鉱毒で汚染された川だったんです。


銅山で採鉱した、銅などを精錬する過程で生じた硫酸や重金属が渡良瀬川に流れ込み、下流域の田畑の農作物をも汚染しました。

また、排煙の亜硫酸ガスなどは、山の木を枯らせ、禿山からは土砂が川に流れ込みます。

足尾ダムは、山からの土砂の流出を食い止める、日本最大の砂防ダムです。

利根川に合流する手前にある渡良瀬遊水地。竣工当初は、洪水予防というよりは、渡良瀬川の汚染物を食い止める沈殿池だったそうです。
しかしながら、足尾鉱毒公害事件は、近代日本の発展に寄与した側面があります。
現に、地元旧足尾町の人々は公害を出した「古河」を、今でも尊敬しています。
かつて鉱毒に汚染された渡良瀬川は、いま清流を取り戻そうとしています。

2018/11/7 カテゴリ: 社会科見学
荒川の下流は、今の隅田川を流れていました。
隅田川は、細く曲がりくねった河川で、大正以前は度々氾濫しました。

首都河川域を洪水から守るため、赤羽の岩淵水門から東京湾まで、隅田川とは別の流路が作られました。(昭和5年:荒川放水路)

100年に1度の大雨にも耐えうる、荒川放水路ですが、実は2箇所、脆弱な場所があります。

東北本線の荒川鉄橋のところだけ、堤防が低くなっています。

近づくと、3メートル以上は低くなっています。
地下水の汲みあげなどで地盤沈下を起こし、住宅が川面より低くなってしまいました。
その分、堤防が嵩上げされましたが、鉄橋部分は取り残されています。
京成線の荒川鉄橋も、同じです。

カスリーン台風でも越水しない堤防ですが、100年以上に1度の大雨が、来年起こるかもしれません。
荒川が氾濫すると、流域の低地では、最大10m浸水する可能性があると、ハザードマップで謳われてます。(銀座でも50cm)
越水よりも、堤防崩壊を心配する向きもありますが、いずれにしても、想定外が起こる前に、鉄橋の架替工事が終わることを願っています。
2018/10/31 カテゴリ: 社会科見学
荒ぶる川は、その治水に様々な工夫がされています。
上流部は、ダム。
中流部は川幅を太くし、下流部は荒川放水路という具合です。

中流部、川幅日本一の鴻巣市から、河川敷を上尾市まで歩きました。

広い河川敷の真ん中にあたり、低水路にかかる、冠水橋(沈下橋)です。
秩父山地などの源流部で大雨が続けば、川幅いっぱいに水は流れます。
その時、欄干のワイヤーとポールを外し、濁流に混ざった漂流物から橋を守ります。
牧草地があります。


軽飛行機専用の飛行場があります。


突然、大勢の人が空から降ってきます。


スカイダイビング、楽しそうです。(水野)
2016/7/5 カテゴリ: 社会科見学
宇部興産の前身は、明治30年操業の沖ノ山炭鉱です。

炭鉱業隆盛のころ、創業者渡辺 祐策翁は『無限の鉱業から有限の工業へ』との想いから、美祢(秋吉台の近く)にある石灰石鉱山の採鉱と窯業(セメント)への業務多角化を図りました。

採石場

60トントラック
セメントは、石灰石7割に粘度、珪石、酸化鉄を原料に、1450度の炉中で産生されます。
当初、伊佐鉱山で採れた石灰石は、鉄道で宇部市の港湾部にあるセメント工場に運ばれて加工されていました。しかし、国鉄の貨物輸送はストライキとコスト高で不安定な状態が続きます。
そこで、鉄道に代わる輸送手段として、日本一の私道が作られました。

湾岸部の海上大橋を含め、32Kmは日本で一番長い宇部興産専用道路です。

伊佐セメントクリンカー工場

40トンの2連(合計80トン)ダブルストレーラにセメントクリンカーを積み込むところ。
このトレーラーに、上りは燃焼炉の燃料である石炭を、下りは半製品のセメントクリンカーを積載します。(公道は走られません)

オーストラリア製のトレーラー運転席に乗せていただきました。(水野)
2013/7/8 カテゴリ: 社会科見学
神田川は井の頭公園から始まり、浅草橋(柳橋)付近で隅田川に合流する24.6Kmの一級河川です。
神田川で随一、水道橋〜御茶ノ水〜昌平橋付近だけが、両岸付近の道からだいぶ下方に川面が見えます。(渓谷状になっています)
ここだけが渓谷になっている理由は、人工の川だからなんです。
水道橋から御茶ノ水方向

お茶の水橋から聖橋を望む

聖橋から昌平橋方向

万世橋から昌平橋方向を望む(左手、レンガの構造物は、旧万世橋駅)

神田川は、昔は『平川』の一部分で、水道橋駅(西口)付近から皇居方面に流れていました。
江戸城開府の折り、たびたび洪水を起こす平川の流れを変える大工事が行われました。
発注主:徳川秀忠
施工:仙台藩、伊達藩
内容:本郷台地の一部 (水道橋〜御茶ノ水)を掘り割って、平川の流れを隅田川へと変更する
安土桃山時代までは、店の前は川じゃなかったんです。したがって、駿河台方面へ往来が可能であったと考えられます。

当店の前から対岸に架橋して、駿河台に自由に行くことが出来たなら、向こう岸にあるアテネフランセに語学を習いに行こうかと思っています。
幻の橋を、店の前の堀が仙台堀と呼ばれていた事に因み、仙台橋と命名しました。(水野)